M-1グランプリ、THE MANZAI決勝進出し、現在もライブに力を入れている2丁拳銃。
ツッコミ担当の川谷修士さんはDJ・舞台俳優としても活動されたり、奥さんの野々村友紀子さんとのバラエティ出演など、優しい旦那さんの一面もあります。
そんな川谷さんは、昔はヤバかったとか。
2丁拳銃・川谷修士の昔がヤバい!
若い頃のエピソード3選
今回はこのような内容でお届けします。
2丁拳銃・川谷修士の昔がヤバい!
「2丁拳銃・川谷修士の昔がヤバい!」とはどういうことなのでしょうか。
主に3つの意味があると考えられます。
若い頃のエピソード3選
①若手時代のファッションスタイル
川谷さんはデビュー当初、裸にオーバーオール、バイクを持っていないのにゴーグル姿で漫才を披露していました。
この衣装を選んだ理由は、「色っぽく見られたい」「(エロティックな要素で)ファン獲得を狙った」という、当時の尖った戦略があったようです。
芸人が目立とうとして、髪型やファッションを奇抜にすることはよくありますね。
その奇抜なスタイルは共演者からも「ヤバい」と振り返られています。
また、現在のようにスーツ姿ではなく、2丁拳銃は革ジャンやTシャツ、古着のジーンズなどのバンドマンやロック風のファッションで舞台に立っていました。
現在の「M-1グランプリ」などでは、漫才師はジャケットやシャツを着用して「ちゃんとした」格好で舞台に立つのが一般的ですが、当時は古着が流行っていたということもあったそうです。
しかし、当時の川谷さんは非常に「いかつい」雰囲気を持っており、周囲の芸人やファンからも「威圧感があった」「怖くて近寄れなかった」と思われるほど、現在とは一線を画す「粋がった」スタイルだったとか。
当時の川谷さんの裸にオーバーオール、ゴーグル姿の画像はないか調べてみましたが、残念ながら見つけることはできませんでした。
②性格と後輩への態度
川谷さんはNSC大阪12期生時代(1993年頃)、後輩に対してイキリ先輩として接し、怖がられる存在でした。
「後輩に横暴だった」「かまってほしくて厳しく当たった」とのこと。
先輩にもイキがった態度をとった行動があります。
川谷さんは、飲み会で先輩の「水玉れっぷう隊」のアキさん(吉本一ケンカ強いと評判、格闘技経験者)に悪ノリで絡みました。
「お前ケンカ強いって?来いや来いや~」と川谷さんが挑発したら、アキさんから超高速ローキックを食らい、頭が床につくほどの衝撃。
川谷さんはすぐ謝罪しましたが、ケンカ慣れしたヤンキー気質を象徴しています。
イキがった態度が原因で、周囲から「周りの人に対してちゃんとしなあかん」と怒られたり、スタッフが離れていったり、仕事がなくなってしまいました。
それをきっかけに「これじゃダメなんだ」と自分を見つめ直し、現在の穏やかな性格へと変わっていったようです。
現在はかつての態度を「若気の至りで迷惑をかけた」という申し訳なく思っており、「人を傷つけないお笑い」を理解し、昔の横暴さを自虐的に振り返る優しいお兄さん的存在です。
③M-1と転機
2丁拳銃は2001年・2002年のM-1で2年連続準決勝敗退が続きました。
2002年は2丁拳銃にとってM‐1に出場できるラストイヤーでした。
しかし、2003年に出場資格のルール変更が「結成10年以内」というルールが明確化され、1993年結成の2丁拳銃がギリギリ出場できるようになりました。
この2度目のラストチャンスで、漫才スタイルを確立させるべく本気モードに切り替え、2丁拳銃は2003年のM-1グランプリで決勝進出を果たし、4位という好成績を収めました。
2丁拳銃はこの決勝進出を機に、漫才への情熱が再燃し、100分ノンストップ漫才「百式」などの独自路線を強化しました。
ミルクボーイに影響を与えた?
2丁拳銃の漫才スタイルはミルクボーイの漫才に影響を与えた?と言われます。
2003年M-1決勝戦で、2丁拳銃は「ボケ数を多くしてストーリーなしの競技漫才」に挑戦。
ハンバーガーショップで「ピクルスを抜いてください」と注文するシチュエーションを執拗に繰り返すネタを披露しました。
ツッコミ担当の川谷さんは冷静に注文を通そうとする常識人役で、論理的にツッコみつつ状況を維持。
ボケ担当の小堀さんは「ピクルス抜き」のタイミングや方法で次々脱線(滑舌練習音ネタ、金・銀のピクルス神話パロディ、バイト店員設定など)。
感情とリズムでエスカレートしていく、という漫才でした。
インタビューでは記者の問いに、このように答えています。
―でも、ワンシチュエーションのネタは今も若い子もやっていますよね。その完成形がミルクボーイなのかもしれませんが。
川谷「影響を与えましたかねえ?あんまり言われないんですけどね(笑い)」
引用元:スポニチ
川谷さんは「影響を与えましたかねえ?」と謙遜気味に語りつつも、その事実を否定せず、前向きに受け止めている様子が伺えます。
ミルクボーイ自身が「2丁拳銃の完成形」と公言しているわけではありませんが、「共通の漫才構成(ワンシチュエーション・繰り返し)」を持つスタイルを2丁拳銃が確立したとして、漫才ブームの先駆けとして評価されています。
まとめ
「2丁拳銃・川谷修士の昔がヤバい!」と言われる理由は主に、
若い頃の
①若手時代のファッションスタイル
裸にオーバーオール、バイクを持っていないのにゴーグル姿で漫才を披露
②性格と後輩への態度
NSC大阪12期生時代(1993年頃)、後輩に対してイキリ先輩として接し、怖がられる存在
③M-1と転機
2丁拳銃はM-1で2年連続準決勝敗退が続きましたが、ラストチャンスで漫才スタイルを確立させるべく本気モードに切り替え、2丁拳銃は2003年M-1決勝で4位入賞し、漫才師としての地位を確立
ということでした。
川谷さんは奥さんの野々村友紀子さんと仲が良く、どちらかというと野々村さんの方が、しっかりとしていて、川谷さんはのんびりで穏やかなイメージがあったので、驚きでした。
「若気の至り」はよくあることです。
現在は川谷さんは後輩に対して優しく、悩みにも相談に乗るお兄さん的存在だそうです。
これからも2丁拳銃の活躍が楽しみですね。




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